Special

『あなたたちはあちら、わたしはこちら』
大野左紀子(著者)×宮田優子(大学講師)対談

宮田優子さんは、これまでの大野さんの著作に全て目を通されていて、その都度たくさんの助言を大野さんへとなさった方として、著者たっての希望で対談が実現いたしました。女性と、また女性同士を巡る諸問題についてのお二人の対話をお届けいたします。

Part.3
女性同士の関係についてずーっと、自分がなぜかそこに突っ込みきれずに、無意識のうちに避けてるのかなっていうところがあります。(大野)





宮 これほど完成度の高い本を書いておられて、何箇所か大野さんが逃げてるところがあるんですよ(笑)。

大 出た(笑)。

宮 逃げてるのはね、苦労して書いてらっしゃるところはやっぱり逃げてらっしゃるなと思って。

大 うーん。

宮 それはね、スラスラ読めるところは気持ち良く書かれたんだろうなあと。でも、『めぐりあう時間たち』はね……。

大 あぁ、やっぱり。

宮 これはやっぱりね、かなり苦労されて書かれた一章だなという印象を持ちましたね。

大 図星です。これはあまり上手くいってないなっていう印象が一番あります。

宮 これは、よく収められましたねって思いましたけれども、三人の、最後のクラリッサの描写は避けられたかな、という印象を持ちました。

大 描けてなかったですね。

宮 そこのところ、娘に置き換えて書かれてまして、クラリッサの生き方をどう思って書いていらっしゃるのか分からない、否定もしなければ肯定もしない、いわゆる曖昧なものとして……。これもダブルヒロインものの系統だと思うんですけど。ヴァージニア・ウルフも姉とのダブルヒロイン、ローラも友人とのダブルヒロイン、クラリッサはもう結婚しているのか、同棲してますし。ここのところをちょっとつっこんでらっしゃらないかなって。これはどうなのかなっていうふうに、疑問を持った章でした。

大 実はこの章は、ロードショーの時、清田さんに観るように勧められて。その後、批評を書いて送ったら、ダメだって言われたんですよ。

宮 あんまり信用しないほうがいいと思いますけど(笑)。

大 それでうーんって思いながら書き直したんですけど、今度は大野さん、壁に頭ぶつけてるって言われて。二回書き直すまで、女性たちのキスシーンのところを割とスルーしてたんですよね、私。そのキスシーンについてなぜ書かないのかってことをチラっと言われて。

宮 私もそう思います。

大 でもその時はもうこれ以上書けないしって思って、放っておいたテキストに手を入れたんです。やっぱりそのキスシーンの位置づけとか、女性のカップル、女性のセクシュアリティ、女性が女性を求めるというところに、本当はどんと最初から重心を置いて、全部書き直さなきゃいけなかったのかもしれないけど、それはやらずに、ローラの生き方だけにしたんです。

宮 そうですね。

大 これ、先の対談の真魚さんにも言われたんですよ。

宮 そうなんですか。やっぱりローラの一番分かりやすい生き方に焦点を当てられたのかなって感じがして、ちょっと分かりにくいウルフとクラリッサのところは触れないでおこうかなっていう。この二人の事を書いたら、章が破綻してしまうからかなっていう感じがしたんですね。

大 そうですね、もう一つ別の枠組みをここに入れないと書けないんですね、二人について。で、それはもうやめにしちゃったんです。「承認を捨てる女」っていうタイトルに縛られましたね。タイトルを決めた時に、これはローラのことなので。

宮 タイトルを先に決めて書かれたんですか。

大 割とタイトルは早めに出てきたんです。最初に書いた昔のテキストがローラのところに焦点を絞っていたので、それを捨てられないまま書いてしまったというか、「承認を捨てる女」っていうテーマに自分の目線がくっついたままで書いてしまったっていう気がします。この映画、凄く難しいんですよ。

宮 難しいですね。

大 何回も観ているんですけど、観るたんびにちょっとずつ違って見えてくる。

宮 ええ、ええ。やっぱりセクシュアリティとか、ダブルヒロインやレズビアンなどの、女性の性や女性同士の関係に触れないと、難しい映画かなって感じがします。読むほうも、ここでちょっと戸惑うかもしれませんね。今までスッときてたのにアレ?って。

大 映画を観た人はそうでしょうね。観てないと分からないかも知れないですけど。

宮 でもやっぱり、そこまでスラスラ読めたものが、ちょっと力が入ってるって感じがしますね、ここは。力んでるというか。

大 力んで、無理やりこの結論に持っていったみたいな感じですか?

宮 ううん、そんな感じがします。

大 いやあ……鋭いですね(笑)。

宮 そう思われる方もいらっしゃると思いますよ、疑問に思われるんじゃないかなって。でもそういうところがあって、この本は救われたかなって感じがします。じゃないと、全てがきっちり解読されてしまったら、まるで教科書になっちゃうじゃないですか。私はこの映画をこう観ました、こういう生き方がありますよ、でもここのところはどうかなっていう、いわゆる大野さんの心の動きがちょっと見えるっていうか、そういう章があって、教科書にならずに済んだって、私はそういう感じがしましたね。

大 もう返す言葉がございません(笑)。やっぱりね、女性同士の関係についてずーっと、自分がなぜかそこに突っ込みきれずに、無意識のうちに避けてるのかなっていうところがあります。このテキストの元の原稿を書いたのは10年前で、その間に何回か見直しているのに、そこにいけなかったなと。

宮 そこのところがこの章に最も典型的に表われているように思います。他の章でも、二人女性が現われてもどちらか一人に焦点を当てられる。だから、一人っていうことに対して大野さんはこだわりを持っておられて、関係性っていうことになると、関心が余り向いてないのかな、どうお考えになってるのかなと思いました。

大 最初から、一作品一ヒロインみたいな枠を作っちゃっいてたからかも知れません。この作品の中ではこの人に特化して書くんだ、この人の目線でこの人が何を考えてるかを書くんだっていうところに、最初から縛りをかけてしまっていた。顔も一人の顔を描いているので。何人か描いてるのもありますけど、やっぱり中心になってるのは一人。

宮 そこはいいところでもあると思います。一人の女性にとことん付き合ってみるっていうスタンスで描かれているのは、私は好感を持ちました

大 でもまさに、次のサイゾーウーマンでの連載は関係性がテーマなんです。自分がここで関係性を書けなかったっていうことは、はっきりと認識していなかったんだけれども頭の中にあって、次は女の関係性を、母と子とか姉妹ではない女の関係性を描く映画を選んで書こうとしてるのは、やっぱり無意識は嘘をつかないというか、やれてないってことが自分で分かってるんですかね。そんな感じが、今言われてしました。宮田さん、恐ろしい(笑)。

宮 いえいえ、私の意見じゃなくて、本がそう語ってくれてます。だからそういうところも楽しく読めるんじゃないかなと。この人、一人の人に対して付き合っていくのは上手だな、じゃあ関係性についてはどう考えていらっしゃるのかしら、って考える、そうしたらこの先も読みたいなっていう感じがします。著者の方は宿題をここで抱えられたのかな、次作はどうなるのかなって、期待感を持たせるっていうか。

扱ってるのは世代が中年以降の女性ですけど、出来たら20代の女性にも読んでもらいたいなと思ってます(大野)



宮 私がこれを最初に一読した時は一気に読みました。で、疲れました(笑)。やっぱり大野さんの入り込み方が尋常じゃないくらい入り込んでいて、それも表現が多彩ですので。ちょっと疲れましたけど、ロールモデルがあるっていうことを教えてくれる本があるのは、貴重なことだなというふうに私は感じました。

大 ありがとうございます。そう言っていただけると何も言うことはなくただありがとうございますだけなんですけど(笑)。扱ってるのは世代が中年以降の女性ですけど、出来たら20代の女性にも読んでもらいたいなと思ってます。学生にも読んで欲しいなってとても思ってて。やっぱり年をとるっていうこと、特に女性の場合加齢問題は大きい。それで若い人たちは、今しかないんだという感じになりがちだと思うんです。今が最高で、あとは下がっていくだけみたいな感じに思ってる人が結構いるような気がして。私もそういう考えに若い頃はとらわれたこともあったから、そんなことはないっていうことを、じんわり感じてもらいたい。そんなことないっていくら口で言っても、「いやあ大野さんみたいな年になれば、開き直れるからいいんでしょ先生は」みたいなふうにしか思われないので。そういう面での説得的な言葉ってなかなか難しいと思います。

宮 でもこれをきっかけとして、若い人が、映画に関心をもち、「ああそうなんだ、こういうこともあるんだな」っていうことをちょっと自分の生き方の指針にしてくれたらいいなっていう感じがしますね。

大 そうですね。ありがとうございました。



 2015年12月、九段下にて収録 / 大野左紀子、宮田優子

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あなたたちはあちら、わたしはこちら



タイトル:あなたたちはあちら、わたしはこちら
著者:大野左紀子
出版社:大洋図書
発売日:2015年12月7日
ISBN:978-4813022633
判型/頁:B6判/188頁
価格:1,600円+税



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